中世には赤目系砂鉄(褐色がった銑鉄生産に適する)を使用して銑鉄をつくり、鍛打 により鍬・鎌などを造ったと推定されているが、また真砂砂鉄(黒色で鋼生産に適する)を選び、刀剣などの刃物を鍛造している。特に刀剣の原料として有名な ものは、建長年代に印賀の阿太上山で古都文次郎信賢が造った印賀鋼が鋼の王とした、当時の鍛冶屋に重んじられたことがその頃の本に載せられている。この印 賀鋼は江戸期の大阪鉄市場でも、根雨の鉄山師手嶋伊兵衛(松田屋)の手によって特に高価で売り出されていたことが近藤家文書に記されている。この印賀鋼は 磁鉄鉱系の真砂砂鉄から製錬された鋼である。


  中世には日本刀の工匠として名高い会見郡出身の大原安網が現われている。安網は、これまでの直刀から反りをつけた現在の日本刀の創始者であるが『太平記』 には、源氏の宝刀「鬼切」(国宝)に作刀したことが記され、また安網の子真守が平家の名刀「抜丸山」(重文)の作者であるとしている。


 

 


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たたら研究会員・郷土史研究家 影山 猛 氏