年代 | 事項 |
5世紀初頭 | ■日南町印賀の横穴古墳より刀・槍出土。原料鉄 は大陸系の輸入鉄と分析される。 |
6世紀後半 | ■日本で砂鉄製錬による鉄の生産始まる。 |
古代 | ■孝霊天皇の鬼退治伝説 |
平安時代 | ■スサノオノミコトのヤマタノオロチ退治伝説 |
鬼やヤマタノオロチは、タタラ師をあらわすと いわれている。 | |
鎌倉時代 | ■伯耆会見郡古鍛冶の始祖大原安綱、反りのある 日本刀を創始(源氏の宝剣「鬼切」) |
1254年 | |
■古都文次郎信賢、土着して日南町印賀阿太上山 で印賀鋼をつくる(日野郡史) | |
1333年 | ■元弘の乱船上山の戦い |
隠岐島を脱した後醍醐天皇が挙兵を行った最初 の戦い。この後に鎌倉幕府を滅ぼして建武新政 権を樹立する。 | |
室町時代 | |
1484年 | ■日野の鉄山を支配し、鉄の技術集団であった蜂 塚氏が江美城を築城。 |
1565年 | ■蜂塚氏、毛利・尼子の戦により滅亡。江美城落城。 |
江戸時代 | |
1600年 慶長5年 | 尼子氏の家臣木下家が日南町阿毘縁の大谷山、笠木の谷中山で鉄作りを開始、1615年には法橋家とともに山分けをして鉄山師となる |
1638年 | ■松平直正が松江藩主となり参勤交代が行われる ようになり、そのルートが出雲街道と呼ばれる ようになった。日野郡産鉄も運ばれた。 |
1694年 | ■日野郡鉄山を鳥取藩の御手山とし、鉄奉行、鉄 |
目付を置く。(~元禄11年8月) | |
1779年 | ■近藤家(根雨)日野郡山上村笠木の谷中でたたら製鉄を始める |
1784年 | ■日野郡宮市村の下原重仲が「鉄山必用記事」を 著す。 |
1800年 | ■鳥取藩による鉄山支援策として、海路為替回漕 仕法が始まる。日野郡産鉄は米子港から全国へ 流通する。 |
明治時代 | ■日野川水系の根雨-車尾間に15隻の川船が通い鉄 も運送する。(~明治19年) |
1883年 | |
1893年 | ■会見郡米子町の有志、日野川流域の砂鉄採取停 止の陳情書を提出する。 |
長い年月をかけ、たたらで流す砂が堆積して島々 が作られ弓ヶ浜半島になったと云われている。 | |
大正時代 | ■第一次世界大戦講和により、鉄価が三分の一に 下落する。 |
1919年 | |
1921年 | ■近藤家(根雨)経営のたたらがすべて廃業とな る。各鉄山は製炭所となる。 |
昭和時代 | ■近藤家、根雨公会堂を建築し根雨町へ寄贈。 |
1940年 |