2020年06月



天保年間、奥日野の鉄山師たちは問屋に委ねていた鉄販売を、自分たちで采配できないかと知恵を絞ります。根雨の近藤家は大阪に直販店(出店)を開き、日南の松田屋を始めとした鉄山師は、鳥取池田藩に具申して、寂れた漁村であった境港に問屋を開き、資金の流れを円滑にする「鉄山融通会所」が開設されることに。以来、商港として発展した境港の黎明期を描いた物語りです。


根雨の大鉄山師、近藤家。幕末から流入し始めた安価な西洋鉄に対して、奥日野の人々の生活を支えた「たたら」を存続させるために、5代目当主、喜八郎が近代的な新工場を建設します。それによって明治20〜30年頃、鉄製造量は最大となり、日本の近代化を裏で支えることに。物語りは彼の苦悩の決断を描いています。



明治20年頃、人向山から都合山へ「たたら場」を移設した際の様子を、手代の鉄次郎さんを主人公として描いています。道路や土地の造成、水路の敷設、たたら炉の地下構造づくり・・・と、たたら場がどんな人たちの手によって、どのように作られていくか、これを見ればその実態がおおよそ理解できます。

 
国宝「童子切」他を現代に伝え、日本刀の始祖とも言われる平安時代の名刀工、伯耆安綱。物語りは、謎に満ちた安綱とその一族、「童子切」や「鬼切」の数奇なる運命について、ひとつの仮説として表しています。この物語りをきっかけとして、安綱の名刀の素材となった「伯耆のたたらと鋼」についても知っていただければと思います。

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