• 近藤家
  • たたら跡

新しくたたら操業を初めるには、先ず炉熱を逃がさないため徹底的に乾燥させるための地下構造(本床釣り)が必要となる。

それには地下を深さ3~5メートル掘り下げ、長さ約5メートル、幅3メートルの穴をつくり、底部には排水路と共に坊主石(尖頭部のある石で当地方では捨尾石という)を敷き、順次小石、赤土、まさ土、炭と重ね、その上に炉をつくる。

 この地下構造と高殿(鉄製錬の建物)、職人住宅、炭小屋など建築に要する労働力 と費用、さらに操業の諸道具、天秤吹子造り其他について、明治22年に新しく日野町板井原にたたらを打込み、明治33年まで操業した近藤家経営の大西山支 配人が試算した労働力と費用について次のような記述がある。
労働力―地形新田師(土地造成人)50人
砂鉄置場造成70人 地下構造(本床)造り100人 建築大工236人其他合計516人  費 用―1,600円

 

 こうして乾燥の終った地下構造上部を均した上に炉をつくるが、寸法は長さ3メートル、横1メートル、高さ1.4メートル位のもので(『砂鉄精錬業一班』)、鉧押(鋼を造る目的の操業で鋼押ともいう)と銑押(銑鉄を造る目的の炉の操業)とでは、銑押の炉は鉧押より少し高く、底部は少し狭い位で大差はない。炉下部を造る釜土は、硅素70%も含む特別の元釜土とよばれるものを使用するが、中・上部は二割土と称するまさ砂(砂鉄は混入していない)と粘土を混合したものを使用する。この築いた炉にひと晩生木を入れて焚き、乾燥の終った高殿の中の炉で鉄をつくる。

 


この章の記事は、下記の方々ににご協力いただき作成しました。

たたら研究会員・郷土史研究家 影山 猛 氏


新しくたたら操業を初めるには、先ず炉熱を逃がさないため徹底的に乾燥させるための地下構造(本床釣り)が必要となる。

それには地下を深さ3~5メートル掘り下げ、長さ約5メートル、幅3メートルの穴をつくり、底部には排水路と共に坊主石(尖頭部のある石で当地方では捨尾石という)を敷き、順次小石、赤土、まさ土、炭と重ね、その上に炉をつくる。

 この地下構造と高殿(鉄製錬の建物)、職人住宅、炭小屋など建築に要する労働力 と費用、さらに操業の諸道具、天秤吹子造り其他について、明治22年に新しく日野町板井原にたたらを打込み、明治33年まで操業した近藤家経営の大西山支 配人が試算した労働力と費用について次のような記述がある。
労働力―地形新田師(土地造成人)50人
砂鉄置場造成70人 地下構造(本床)造り100人 建築大工236人其他合計516人  費 用―1,600円


 

 こうして乾燥の終った地下構造上部を均した上に炉をつくるが、寸法は長さ3メートル、横1メートル、高さ1.4メートル位のもので(『砂鉄精錬業一班』)、鉧押(鋼を造る目的の操業で鋼押ともいう)と銑押(銑鉄を造る目的の炉の操業)とでは、銑押の炉は鉧押より少し高く、底部は少し狭い位で大差はない。炉下部を造る釜土は、硅素70%も含む特別の元釜土とよばれるものを使用するが、中・上部は二割土と称するまさ砂(砂鉄は混入していない)と粘土を混合したものを使用する。この築いた炉にひと晩生木を入れて焚き、乾燥の終った高殿の中の炉で鉄をつくる。

 


この章の記事は、下記の方々ににご協力いただき作成しました。

たたら研究会員・郷土史研究家 影山 猛 氏

 

日本の弥生時代から古墳時代初期までに使用され、現在まで残った鉄は、その含む諸元素、諸金属から大陸から渡来した鉄素材であることがわかっている。日本固有の砂鉄または鉄鉱石を使用した鉄生産を始めたのは発掘などから6世紀後半とされている。

 日本のたたら(鑪・鈩)の文字使用も古く、8世紀初期の『日本書紀』(721年神代巻上)に「蹈鞴(ふいご)、此云―多多羅(たたら)」とあり、同時期の古事記にも「タタラ」の文字が使用されている。
 しかし現在今のたたらと同じ製鉄施設とは異なるものと考えられる。 たたらによって生産された鉄鋼の特性は、近代的高炉のように石炭は使用せず、炭を還元に使用して低温還元、溶解をするので、不純、有害元素の混入がみられず、刃物などに使用するには最高の鉄鋼が出来ることである。鉄は金属として地球に最も多く存在するが、この鉄の使用によって農産物の増収、また商工業の目覚しく発達したことは計り知れない。

 また鉄は高温で有する硬い組織を急冷することで、常温でもその硬さを保持する焼き入れが出来るので、刃物、農工業用の道具にはこの熱処理が施してある。 また鉄は他の金属との融合が広範囲に出来、ステンレス其他有用な合金となる。 

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