小説 「TATARA」感想文 優秀賞と最優秀賞の発表
たくさんのご応募をいただきまして誠にありがとうございました。長文・短文それぞれの優秀賞と最優秀賞を発表いたします。
長文の部
- 最優秀賞 Y.S様
- 優秀賞 M.K様 H.K様
短文の部
- 最優秀賞 I.I様
- 優秀賞 Z.M様、 M.F様、 M.S様、 F様、 N様
佳作、およびアンケートをお寄せいただいた方の中から抽選で25名様に地元産お米(佳作)と地元産お味噌(アンケート)のプレゼントをお送りさせていただきます。
長文の部 最優秀賞 Y,S様
明治五年(1872年)の春四月、ヒロイン大江りん(15歳)の旅立ちに幕を開ける長編の力作、『TATARA』。りんの生家の米子から日野谷根雨宿、たたら経営の大庄屋、黒井田家を目指しての奉公始め、七里半(30キロ)の長道を歩いての一人旅である。駕籠での旅を勧める母に「奉公に上がる身の私がお姫様の輿入れの真似事はでまきせん」と拒わり、「賢く、強い女人であれ」の父の遺訓を胸に刻んでのりんの生涯を象徴する旅立ちではあった。
さて、日本の製鉄のルーツは1500年前の古墳時代といわれ、この中国地方の山地は、砂鉄の含有量が高く、森林資源も豊富であったことから、古くから「たたら製鉄」が盛んに行われ、特に日野谷、奥出雲の両地方は、その二大生産地、幕末には、全国の鉄の八割をこの両地方で生産するまでになっていた由。黒井田家のたたら製鉄は安政8年(1779年)~大正10年(1921年)までの143年間の長きにわたる操業、最盛期には4〜5千人の従業員、その家族を含めると実に2万人を超える人々の生活と日野谷の経済を、黒井田家のTATARAが支えていたという。
この製鉄の操業についても、歴代党首は、下流域の水不足や稲作への影響を配慮し、砂鉄を採取する「鉄穴流し」は、一年おきの隔年流し、採取時期は夏場を避け、秋彼岸から冬への半年流しであったとのこと。
そして明治19年秋、2年ががりで江府町宮市原の持ち山を開拓し、四十町歩(40ヘクタール)の広大な農地を造成する等、すべては「日野谷のため」との信念で生きた歴代当主。郷土史に疎い私には、まさに目から鱗の驚きである。
巻末の著者の「謝辞」によれば、この物語は、鳥取県日野郡日野町根雨の「たたら」経営の近藤家をモデルとし、幕末から大正に至るまでの近藤家の当主像が原型であるものの、あくまでもフィクションの由。しかし、随所に史実を巧みに織り成しての迫真性のあるストーリーの展開、黒井田家三代の当主を支え、たたら社会で健気に生きたりんの生きざま、「残照」で終わるりん64歳の生涯、まさに感動の物語である。
ところで、りん旅立ちの舞台となった出雲街道の間地峠(標高479メートル)は、私の生まれ故郷の日野町舟場と、伯耆町二部との境界の峠。今年米寿を迎える私は、幼い頃、祖母に連れられ約8キロ離れた二部の叔母宅を訪ねるとき、何回かこの峠越えをしたことがあり、忘れることのできない思い出の峠である。また、故郷の舟場の菩提寺である正音寺の隣地に、私の実家の狭い三段の棚畑がある。その畑土には金くそ(ノロ)が多く、深く掘った底地にはおおきな横穴があったこと等、幼い頃の記憶があるが、のだたら跡では? そして、黒井田家の舟場山たたらは、どの辺りにあったのだろうか?伯耆の地に出雲街道とは?等々、この物語を契機に望郷の思いしきりである。
1500年という永い歴史をもつといわれるTATARA製鉄の故郷の遺跡は、どのような現状にあるのか。先に世界遺産登録された石見銀山遺跡に優るとも劣らぬ貴重な文化遺産ではないだろうか・・・。
平成12年10月6日発生した鳥取西部地震により大被害のあった郷土、過疎、高齢化に悩む中山間地、そして無縁社会といわれる歪な現代社会の中にあって、このTATARA社会の物語は、故郷の復興、再生への道標の一つといえよう。
終わりに、郷土史関係諸先生による、近藤家所蔵の古文書の解読、研究による更なる成果を期待して筆をおく。
長文の部 優秀賞 M.K様
りんとして、心地よい
だいぶ昔だが、仕事でビジネス書を作っているよと祖母にいったら、それは何かと聞かれた。なんとなく通じれば十分と思い、「仕事のやり方の本」と答えておいた。
でも、間違っていた。『TATARA』で描かれる鉄作りはまぎれもなく仕事だが、カタカナ語の「ビジネス」なんかではまったくない。
仕事とビジネスは軸が違う。鉄作りが仕事の本体であるなら、ビジネスは「職人雇用方法」「作業現場リストラマニュアル」といった、やりくりのコツでしかない。それにしても、どうしてこんなずれた方面に考えが巡るのだろうか。昔、編集系のジョブを切り回してちょこちょこ食べている私に、ある人がいった。
「そういうのは、仕事ではないような気がしている」 大企業で勤め上げた初老の男性だったが、製鉄エンジニアだった。「人がみんなモノ作りをやめ、やりくりで儲けようとする側に回ってしまったら、国が死ぬ」ともいっていた。当時はあまりピンとこなかったが、『TATARA』によって、そのやりとりが古傷みたいにちくりとよみがえってきた。
自然と格闘して原材料を作ることは、商売だけでできることではないだろう。この本に描かれる日野のたたら職人はみな、強烈な自尊心や夢に支えられているのが窺える。
そして、私はどう考えてもこれまでの人生で、原材料といえるものは1グラムも作ったことはない。これから先もないだろう。人が作ってくれた原材料を消費して暮らしていくだけだ。そう思うと、ふと落ち込んだりもする。個人的な劣等感や回想はこのぐらいにしておこう。
この『TATARA』は、ボリュームが苦にならず、爽快に読了できた。文章の美しさや、元々この時代に関心があったことなどもポイントではあったが、もっと考えてみると、自分好みなテイストが三つ入っているようだ。
一つは、主人公りんの苦難への対し方。最近流行る小説は、一つの心の傷に生涯こだわり、リベンジのためだけに生きるようなものが多いように思う。悲しみには共感できても、そういう人生の使い方にはきわめて疑問だ。悲惨な体験も、「諦め」や「するべきこと」や「日にち薬」でまぎれ、薄れていくのがたいていの人間ではないだろうか。「心の奥底はずっと悲しい(悔しい)けれど、やることやりながらまあまあ生きてます」というほうがずっとリアリティがある。りんの乗り越え方は、まさにそんな感じだと思う。
二つ目は、血のつながらない子を育て上げるところだ。なぜだか昔から「血縁ではないけど、ウマがあうのでいっしょにいるの」というような、不思議な関係の人たちをみるのが好きだった。
でも世間には「自分でおなかをいためてないと所詮他人」という考えの人も多く、そういう言葉を聞くたびがっかりしてきた。なので、りんが直矢に愛情を注ぎ、直矢がそれに応える様子にとても引き込まれた。思い入れが強かった分、二人の別離はつらかった。
そして三つ目は、りんと誠吾。互いに芯の部分で強く惹かれ合っているものの、具体的には踏み出さずに終える。実はこういうのにも弱い。がんがん進み、相手に分け入っていくばかりが愛ではない・・・要は、自分のちっぽけなロマンである。なので、二人とも独り身になったときには逆の意味でハラハラした。結局くっつくという展開は、悪くはないんだけれど、やはりちょっとイメージ違うなと。
この『TATARA』、試験問題のように主人公の名前が穴埋めになっていたとしたら。
「りん」以外に思いつかない。ギンリンソウのりん。凛としたりん。リンと鳴る鈴も、鉄でできている。動輪のりん。そして、倫理のりんである。(了)
長文の部 優秀賞 H.K様
「凛」とした「りん」
私達が知っている様で、実は案外知らなかった近藤家「黒井田家」とたたらについて、又、それに携わる人々の姿を大変興味深く読みました。
いきなり二部、米子、根雨、間地等の身近な地名が出て来て、非常に親近感を覚え、思わず引き込まれましたが、それは、明治の中期から大正にかけての、あまり遠くない我々の祖先の時代だったのです。あたかもモノクロの映画をみる様な、懐かしさと暗さが映し出されています。そこにはこの地方の土と汗にまみれ懸命に生きる人々の生活を垣間見ることが出来ます。たたらに無縁の方にも新鮮に伝わることでしょう。
主人公「りん」の名を目にした時「凛」の字が浮かびました。聡明で気丈であるのは勿論、大勢の人の中にあって、思いやり深い生き方は、まさに凛とした女性で、現代にも通じるものです。ラジオやテレビは勿論、電気も水道も無い当時の社会には、人の連帯、特に優れたリーダーが地域を支えるのに必要だったのでしょう。
一方、国は戦争に向かい、たたら産業もそれに合わせ翻弄され、黒井田家は大勢の雇人を抱えての事業に苦慮されています。その様はまさに、企業家としての宿命であったのでしょう。又、黒井田家は事業一辺倒でなく、政治、文化面への貢献も大きく、これが経営者としての大成をみたものと思います。郷土出身の生田長江や加藤正義等とのかかわりあいをみてもそれを物語っています。
今日の歴史ブームの中にあってこの様な郷土の前日の姿を肌に触れる様な感覚で、本書から深く学びました。
短文の部 最優秀賞 I.I様
主人公「りん」の一生を激動する明治期、たたらを舞台に黒井田家の人々、嫁ぎ先の主人吉岡とその義母と養子直矢、黒井田家に共に奉公した女性たち、日野で働く職人たちとの人間関係を通して見事なまでに描いた感動の書です。特に「りん」の他人を思いやるやさしい心、自分の事を犠牲にしてまでも相手を優先して事に当たる姿勢、そして常に何事にも前向きに行動する明るい性格など。理想的な女性像として描かれていることは現代人のわれわれとしても大いに学ぶ点だと思いました。それから奥日野のたたらの知識を得られたことは本当に有難い限りです。
短文の部 優秀賞 Z.M様
手にした小説「TAKARA」はずっしりと重く、字も小ぶりで老眼の来た私には骨が折れると思った。しかし、読み始めるとすぐにおりんさんの人生にぐぐっと引き込まれ、重さのある本を久しぶりに一気に読みました。言葉として知っていた「たたら」のこと。教書にはなかった日本近代史の真実を学んだ。日清戦争で死した祖父の兄の独立墓標をまさぐりながら、あらためて戦争の悲惨さを心に刻み、直矢さんの戦死とオーバーラップさせました。
短文の部 優秀賞 M.F様
二部・間地・船場・根雨・福岡等、皆馴染み深い場所で「赤朽葉家の伝説」よりリアリティがあった。鉄瓶の記述が効果的で上手い。ズロースの記述は蛇足かとも思ったが或いは重要な事かも知れない。ギンリンソウのことはどうなったのだろうと読み進んだが、ラストで帳尻が合ったようである。「たたら」の説明を旨く取り込んで、力作であったと思う。
短文の部 優秀賞 M.S様
神々の古の時空より日野谷を支え、多くの民と生死を共にし、日本一といわれる鋼を生み出し近来まで数々の辛苦に耐えはぐくんで来た。古より幾多の権力の元、多くの日野谷の民が、その業に打ち込んで来た。あなたはりんであり、私は善右衛門、緑次郎であったかもしれない。名もなき村下かもしれない。あるいは紅野にはかない恋をしていたのかもしれない。私の住む集落、宗金の地は刀鍛冶に由来しているとも言われる。私の集落には石倉家という鉄山で栄え、現在では墓碑のみ残るものもある。その宅地跡、たたら跡もわからない。しかしながら、この日野谷で老若男女が喜怒哀楽の中で行き続けたのはまぎれとない事実であろう。この書籍にご尽力いただいた皆様に感謝します。
短文の部 優秀賞 F様
かつて、日本海に面した山陰は日本の表玄関であり、その繁栄をもたらしたのは、古来から伝わる製鉄技術「タタラ」と、大国主命、少彦名命という日本医薬の祖である神々が教え示した薬草でした。そしてもう一つ、忘れてはならないのが、厳しい自然と戦いながら、真剣に 「生きる事」と向き合った、山陰の人々の命懸けの努力でした。
山陰で生まれ育った私の体にも、きっとその「DNAの記憶」はあるのだと思いますが、それを体の奥底から呼び覚ましてくれるような物語、それが「TATARA」でした。
学問がなくとも、大きな時代のうねりの中で、心の「タタラ」で鍛え上げた「愛情」だけを「武器」にして、多くの試練が待ち受ける世間と戦い、懸命に生きる主人公の「りん」は、真面目で、懸命に幸せを求め生きてきた、私達の母や、祖母の姿を思い出させてくれます。
そんな記憶が、今もまだ息づいている気がする故郷の山々を、また歩いてみたいと思わせてくれる作品でした。
短文の部 優秀賞 N様
本書を読むまで、明治と共に洋鉄輸入や高炉建設により、急速にたたら製鉄は衰えていったと思っていた。しかしそうではなかったようだ。コスト削減、経営の合理化、営業部門の配置、需要動向の情報収集及び分析など、鉄師たちは現代の企業となんら変わりないことを行っていた。まさに企業たたらと言えるのではないか。むしろ洋鉄や高炉の脅威が、たたら製鉄の経営面の進化を推し進めたと言えるかもしれない。
その結果、たたらが明治後も長らく生きながらえることになった。そして、日本の近代化を支えることになった。もちろん良質な鉄を生産する技術のたまものでもあるが、常に努力を怠らなかった鉄師及びたたら場の人々の心意気が支えることになったのではないかと思った。
中国山地の一鉄師を通じて日本の近代化が感じられるスケールの大きな作品で読み応えがあった。また、さり気ない情景の表現に雪解けと共に日野郡へ訪れてみたくもなった。
遠方の方が多いので、わざわざおいでいただいての表彰式は行わず、該当者の方に直接お知らせして特産品をお送りすることになりました。たくさんのご応募ありがとうございました。